感覚を研ぎ澄ます

感覚を研ぎ澄ますとよく言いますが、具体的にどういう事なのかは正直わたしには分かりません。そもそも五感とは、目・耳・鼻・舌・皮膚をとおして外部からの情報を感じて処理をする感覚機能のことを言い、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚のことを表していますが、本来これらの感覚は生命の危険を回避するために備えられた感覚機能であると言われており、五感を研ぎ澄ますと直感力が冴え、生命力があふれ、思いやりのある人間性が育まれるとも言われています。
では、その感覚を研ぎ澄ますとか五感を磨くにはどうしたら良いのだろう、仮にそれらを実践したとして、その実感を得る、とはどういうことなのだろうという素朴な疑問があります。人は感覚から得た情報を脳に送り、脳ではすべての情報を整理し、瞬時に引き出し反応することができると言われていますが、あらゆる情報が溢れる現在において、一体何が感覚なのか分からないということになってしまうことはないのだろうか。



と、ここまで書いてふと思い出したことがあります。
わたしはお腹が空いたらご飯を食べます。会社に勤めていた頃にはできなかったことではありますが、フリーランスになってからはこういう部分は自由に調整ができることもあり、家族の中でも朝ごはんを食べないのはわたしだけで、お昼もお腹が空いて「グ〜」と鳴ったらご飯を食べ、お腹がペコペコになる夕飯時はたくさん食べます。一見不規則なようですが、不思議と時間帯はおおよそ決まっています。お腹が空かない時には気がつけば一日一食の日もよくあります。ご飯を食べる時間だからという合図ではなく、お腹が空いたという合図で食事をする。もちろん、合図があれば食べるので、間食も結構します。だからといって太ってきたかというと、体重は20代の頃から全く変わりません。これが「感覚を研ぎ澄ます」ということではないと思いますが、わたしで例えるとつまりはこんな感じなのだろうか、という想像です。

そしてもう一つ、以前から勧められていたヨガを始めました。
偶然ですが、家族が受けているパーソナルトレーナーのヨガレッスンに通うことにしました。これは、ヨガとはどういうもので、どういう効果があるからという理由ではなく、お会いした時の先生の印象がとても良く、過去にどれだけ誘われても受けようとは思わなかったのに、この先生のヨガのレッスンを受けたいと思い始めることにしました。
つまりはこれも、体が動きたいと合図している感覚だとしたら、こういうことなのかという想像です。

「感覚を研ぎ澄ます」ということは大切ですといろんなところで聞いたり目にしたりしますが
感覚が研ぎ澄まされている実感とは
いったいどんなものなのだろう

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


TOP